【感想・考察】『アクアリウムの夜』(稲生 平太郎)

今日紹介するのはホラー小説『アクアリウムの夜』です。

読み終わった感想としては、意味不明ですね。色々レビューを見て回ってたんですが皆さん同じく内容に困惑されているようでした。

読み始めて序盤の印象としては、久々に本格的に怖いホラー小説に出合ったなと思うほど演出が怖かったんです。その時ちょうど深夜に読んでいたので、やはり朝になってから読み進めようと、読むのを中断したくらいです。

しかし段々ホラーというよりはミステリー小説に近い内容になっていきまして、期待していたのとは違いましたね。最後に水族館に行って、地下に居る者の正体を暴露してくれればそれでもういいですという気持ちにはなっていました。しかし、最後まで読んだのにマジで意味がわからない。レビューでこれは奇書であると言った人の気持ちもわかります。

でも私はなにかしら納得できる回答が欲しいんですよね。よく「時代を先取りしすぎた作品」と言われるものがあるじゃないですか。それって作者が何も考えないで作ったか、作者の作品が難解すぎて受け手に伝わってないかのどちらかだと思うんですけど、この小説に関してはどうも後者な気がします。

こっからはどんどんネタバレ含む内容を述べていきます。以下に述べるのはただの推測ですが、自分でも言ってて腑に落ちない点が多いです。

まずは水族館の地下にいるバケモノ。これは過去に出門鬼三郎がチベットから持ってきた、かつて金星に生息していたキメラのような生命体ですよね。白神教徒にとっては白神様に当たる存在。こいつの中に取り込まれると永遠とも思える命をその中で過ごすことができ、その世界が「シャンバラ」なのではないか。作中で出てきたアナグラムの「hl」もこれにあたるのかもしれません。

広田が地下室で見た神秘的な光景は金星で起きた歴史だった。出門がチベットで見た光景と同じ物。これは蛇人が超能力で見せたものではないか? 良子は死んだ高橋が流れてくるという恐怖映像しか見せられていないという点で、広田に出門と同じ資格があるということだろうか。つまり出門がチベットで受けた宣託の童子とは広田だったのか。最後に全身傷だらけで見つかったのは白神様に取り込まれて暴れた後で、水槽のガラスが散乱していたのもそのためだろうか。

そうなると良子の遺体が見つからないのが不自然だ。高橋は選ばれた子供ではなかったから遺体が捨てられた。そもそもなぜ高橋の遺体は劇の最中に晒されたのか。秘密裏に処理してもよかったはず。見せしめか、あるいは良子と広田を釣り出すエサか。

広田が高橋に家に呼ばれた時の母親の描写が気になる。広田には母親の顔が高橋と同じものに見え、痴悪に感じたという。実は地球に監視に来ている金星人がいて、色々な人物に変身できるとか? 広田が見た病院の藤村も藤村が見た車の英子もそいつだったかもしれない。黒猫のふうについては全くわからない。二人が街を去った理由もわからない。

煮え切らない考察で申し訳ありません。最後に私から確実に言える情報を一つだけ。作中の出門鬼三郎という人物は実在したモデルがいます。出口王仁三郎という戦前の宗教家で、戦前の日本で流行した新興宗教の「大本」の教祖でした。この宗教は軍部にも信者が多数いたくらいで、満州事変を画策した石原莞爾もこれの信者だったそうです。こんなもの普通は知らないでしょうね、実際他のブログやレビューにも大本については載っていませんでした。私は個人的に宗教に興味があったので調べていた時期があるんです。これを調べると当時の日本人がいかにおかしくなっていたかがわかりますよ。ある意味そっちのほうがホラーかもしれません。

【感想・考察】『アクアリウムの夜』(稲生 平太郎)” に対して1件のコメントがあります。

  1. ChangT より:

    Very interesting topic, thank you for putting up.Raise your business

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