【感想】『私が大好きな小説家を殺すまで』神様の断頭台の上で紡がれる日常(斜線堂 有紀)
ミステリー作家、斜線堂有紀さんの2018年の小説。『キネマ探偵カレイドミステリー』シリーズの後の最初の小説ですね。
私は斜線堂有紀さんの『廃遊園地の殺人』が大好きで、その影響で今回ご紹介する『私が大好きな小説家を殺すまで』を読んだ次第です。
『廃遊園地の殺人』は本格ミステリーだったので、ネタバレ抜きで感想を書くのが難しく、記事には出来なかったのですが、『私が大好きな小説家を殺すまで』の方はあまりミステリー色は薄い小説だったので、書評ブロガーとしては感想を書きやすい作品です。
というのも、先に言ってしまうと、内容はタイトルのまんまなんです(笑)。主人公が大好きな小説家を殺すまでの記録を綴った内容で、登場人物もかなり少なく、殺人の捜査をするわけでもないです。
ある意味日常系になるのでしょうか。しかし雰囲気はほのぼのしたものではなく、円満に進んでる最中でもどこかシリアスな雰囲気が流れているような感じです。
『廃遊園地の殺人』と比較すると、私にとってすごく刺さる小説ではありませんでした。
というのも読んでみればわかるのですが、この小説の主なターゲット層としては、若い世代のそれも女性がそれにあたると思います。作者のあとがきで、この小説は元々『神様の断頭台』という題名だったと言っています。しかし実際には『私が大好きな小説家を殺すまで』というタイトルで出版されたのは、編集者がこの小説の主なターゲット層を意識して変更したからではないかと私は思うのです。
つまり私のようなアラサーの男に向けた小説ではなかったわけですが、それでも綺麗な文章で最後まで飽きることなく読んでしまいました。
当ブログでも以前紹介した、織守きょうやさんの『記憶屋』を読んだ時にも感じたのですが、やはり若い女性作家にしか書けない透き通るような世界観というのは存在すると思うのです。
小説に娯楽性を求めた場合、インパクトの強い展開が必要になりますが、私のように初めての世界観に触れることや、あらゆるジャンルの小説に触れてみたいという読者のニーズにもはまる作品であることは間違いないでしょう。
あらすじ(Amazonより引用)
なぜ少女は最愛の先生を殺さなければならなかったのか?
突如失踪した人気小説家・遥川悠真。その背景には、彼が今まで誰にも明かさなかった少女の存在があった。
遥川悠真の小説を愛する少女・幕居梓は、偶然彼に命を救われたことから奇妙な共生関係を結ぶことになる。しかし、遥川が小説を書けなくなったことで事態は一変する。梓は遥川を救う為に彼のゴーストライターになることを決意するが――。才能を失った天才小説家と彼を救いたかった少女、そして迎える衝撃のラスト! なぜ梓は最愛の小説家を殺さなければならなかったのか?
作品のテーマ(ちょいネタバレ)
作者のあとがきの言葉を借りれば、才能を愛された者はその才能を失った後にどうすればいいか、誰かを神様に仕立ててしまった者は変わりゆくその人とどう向き合えばいいかの話でした。
私なりにこのテーマに共通する経験として、ファンだったミュージシャンが売れてから作風が丸くなってしまって、前よりハマれなくなってしまったということがあります。それは私がそのミュージシャンのファンではなく、そのミュージシャンが生み出した曲のファンだっただけでした。この構造は子育てやアイドルもそうですが、あらゆるものごとに共通する部分だと思います。
この小説の梓も同じです。遥川悠真のファンだったのではなく、彼が一時期生み出した何個かの小説のファンでしかなかったのです。そして彼女はその時の作風を冷凍保存するかのように遥川のゴーストライターとして小説を書きました。しかしそれは彼自身を愛する行為ではなかった。遥川は人間である以上時間とともに感性も変化していくし、小説自体書くことが嫌になったりします。しかし梓はそれを許すことができない狂信的な信者でした。そして遥川自身も、梓に対して自分を無条件に受け入れてくれる存在としての幻想を見ていたかもしれません。未熟な二人が出会ってしまった悲劇がここにあります。
Very interesting topic, thank you for putting up.Raise range